とある教師の教育突破論

現代教育への困難にどう対処し、突破していくかの糸口を独自に考えた独断と偏見に満ちた教育論を展開していきます。

忘れ物は一生減らない!? 現代教育が抱える大きな問題とは!!!!

なさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンてす。

 

ブレイクスルー第7弾です。

 

前回、言葉と言葉のやりとりとして、
返事をすることが大切だとお話しました。

 

本日も言葉と言葉のやりとりを
ベースとしたお話を
していきたいと思います。

 

テーマは
「忘れ物を減らす」
です。

 

 

5分休憩に忘れ物を言いに来るよう
指導すると以前お話しましたが、
それだけだと忘れ物は減りません。

 

いくら注意をしても、
減りません。

 

いくら厳しくしても、
減りません。

 

 

 

忘れ物ってね、僕が思うに
現代教育界の病気
なんですよ。

 

病気だったら、
治せばいいじゃないか。


いやぁ、治せませんよぉ…。

 

だって、
誰も病気だと思ってない
んですもん。


もうね、忘れ物っていう言葉を
使ってる時点で病気ですよ?

 

 

????

 

 

今、頭の中に?が浮かんだ人は、
残念ながら忘れ物病に
かかってしまっているかもしれないので、
要注意ですよ?

 


では、忘れ物病とは一体何なのか、
説明していきましょう。

 

 

さて、忘れ物………

 

学校教育では、
ホントによく聞く言葉です。

 

毎日聞きます。

 

だって、絶対1日1回だれかは、
「先生、○○忘れました…。」
って言いに来るんですもんー!!!!

 

ホント、
きぃーーー!!!!
ってなりますよね。

 

でもね、うちのクラス、
忘れ物言いに来る子ども、
ほとんどいませんよ。

 

だってね、
忘れてないから。

 

さぁ、ここでピンと来た人も
いるのではないかと
思うのですが、

ここで質問!!!!

 

「先生、○○忘れました。」

このフレーズ、
一体誰が言い出したのでしょうか??

 

 

 

ピポーン!!
子ども!!

 

 


ブブー!!!!

正解は……………、

 

 

 

 

 

 

知りませんが、

(ガクッ!!!!)

 

僕は大人だと思っています。

保護者か教師かどちらかです。

 

 

それはなぜか。

 

 

必要な物を持ってこない、


やるべき課題をやっていない、

 

これは、子どもが初めて知った

「忘れた」という言葉の意味からは、
あまりに遠くかけ離れているからです。

 

 

だってね、忘れたって、
「うわぁ!!さっきまで
覚えてたんやけど、忘れてたぁ!!」
ってやつでしょ?

 

 

確かに頭の中にあったものが、
偶然的に意識の外へ出て、
それを取り戻すことが
できなかった状況・状態が
「忘れた」ですよね。

 

 

じゃあ、子どもの
「持ってきてません」


「やってきてません」


「できてません」

 

これって、忘れた………

ではないですよねぇ………。

 

 

初めて『忘れた』という言葉を知っても、
「え、そういう使い方あんの!?」
という感じで、
いつの間にか意味が
すりかわってしまっている。

 

 

でも、誰もそのすりかわりに
気付いていない。

 

 

だから、病気なんですよ。

 

 

気付いていないから、
治せないんですよ。

 

 

僕はね、もう完治してますよ。

 

 

実際、「忘れた」、「忘れ物」なんて
教室で絶対使いませんから。

 

 

今、ここで書いているのは、
その方が説明しやすいからであって、

この記事を最後まで読んだ方は、
治癒の方向に進み、

 


やがて
「おかしな言葉を使っていたなぁ…。」
と感じるはずです。

 


子どもの忘れ物ってね、
ホントにいっぱいあると思うんですよ。

 

 

宿題忘れた1つとっても、
・めんどくさかったからやってない
・遊んでいたら時間がなくなったから、
 できてない
・やる気がなかったから、やってない
・体調が悪かったから、できなかった
・ノートがなかったから、
 学校でやろうと思った

 

 

これ全部子どもは
「忘れました」の一言
済ましにかかってくるんですよ?

 

 

怖くないですか!!??

 

 

ノート忘れた1つとってもね、
いろいろあると思うんですよ。

 

 

・机の上に置きっぱなしにしてた
・時間割りを確認していなかった
・時間割りをちゃんと写せてなかった
・めんどくさかったから、
 時間割りをやらなかった
・前のノートを持ってきてしまった
・お茶をこぼして、乾かしてる

 

 

これ全部子どもは、
「忘れました」の一言
済ましにかかってくるんですよ?

 

 

怖くないですか!!??

 

 

何が怖いか??

 

 

当たり前のように
歪んだ日本語を使っている
この教育界、です!!!!

 

 


忘れたってね、
ある意味、究極なんですよ。

 

 

絶対不可侵なんですよ。

 

 

人間は忘れる生き物です。

 

忘れない方こそ無理があるんです。

 

だからね、忘れるというのは、
悪いことなんだけど、
どこか自分に責任がないような
感じになるんです。

 

 

だって、忘れるのって、
しょーがないじゃん!!!!

 

 

仕方のないことじゃないですか!!!!

 

 

これをね、
子どもが当たり前のように使うとね、
自分の失敗を、
「仕方ない」にすり替えるんですよ。

 

 

仕方ないから、
自分は悪くない。

 

悪くないから痛くない。

 

痛くないから残らない。

 

残らないから、次に活かせない。

 

だ!!
か!!
ら!!

 

忘れ物が減らない!!!!

 

 

この縮図が無意識的に
子どもの中で出来上がって
しまっているんですよ。

 

 

それなのに、厳しく言っても、
しょうがないでしょ??

 

 

自分で自分の失敗に気付けていないのに、
厳しく言っても、
「でも、仕方ないじゃん」って
いじけるだけです。

 

 

それじゃあ、全く意味がない。

 

 

だから、こっちは子どもに、
自分の失敗に目を向けさせるような
言葉をかけてあげなければいけないんです。

 

 

「先生、○○忘れました。」


『意味わかんない。
 忘れたって何?』


「時間割りを確認していなくて、

 持ってこれませんでした。」


『なんで時間割り確認してないの?』


「時間が遅かったから。」


『昨日、4時には帰ってたよね?』


「習い事があって………」


『習い事ってそんなに遅くまであんの?
 時間割り確認するのって、

 5分もかからないよね?


 君は5分も作れないほど、

 忙しかったの?』


「5分は作れた。」


『じゃあ、なんで、

 作れた5分を作れなかったの?』


「遊んでたから」

 

ここまでやる必要があ

るんですよ。

 

 

 

自分の準備不足に!!


時間の使い方の悪さに!!


自分の怠け心に!!

 

きちんと目を向けさせて、
その後どうすればいいか考えさせて、
言葉にさせなければ、
子どもは痛みを感じない。

 

 

逆に言えば、
このやりとりの中で生まれる痛みが、
子どもに成長を促す刺激になるんです。

 

 

失敗から学ぶとは、
こういうことです。

 

 

『じゃあ、これからどうすればいい?』


「遊ぶ前に時間割りをする」


「なんとしても時間割りをしてから寝る」


「朝早く起きてやる」

 

きちんと具体的に対策を

言葉にさせるんです。

 

 

そうすることで、
失敗が次に活かせるんです。

 

 

忘れ物が
仕方のないものじゃなくなった瞬間、
自分の努力で何とかしようとできるんです。

 

 

究極の領域にあった、
絶対不可侵の領域にあったものが、
手の届く世界になったんです。

 

 

そうしたら、あとは
チャレンジ&トライ。

 

 

挑戦して、
失敗して、
別の方法を試して、
失敗して、
軌道修正して、
徐々に自分のものにしていくんです。

 

 

おそらく1回で上手くは
いかないでしょう。

 

一度失敗したら、
その方法には不備があったということ、
では、どうすればいいか考えさせる、
一緒に考えてやる。

 

教育とは、
そういうものなのではないでしょうか。

 

たかだか、
「忘れました」の一言、
でも、これは現代教育が
抱える大きな問題です。

 

それを気付けずにいる大人が
あまりに多く、
子どもがそれにどんどん侵されていき、
それが未来へと繋がっていく。

 

 

怖くないですか!!??

 

僕はね、怖いです!!!!!!!!

 

だから、今一度自分が
当たり前のように使っている言葉、
見直してみても、
いいんじゃないですか??

 

最後は、少し大袈裟な話になりましたが、
忘れ物という言葉の使い方も、
必ず子どもたちと一度確認してくださいね。

 

でないと、
「ちょっと先生、どうなってるんですか!?」
ってなりますから。

 


それでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました。