とある教師の教育突破論

現代教育への困難にどう対処し、突破していくかの糸口を独自に考えた独断と偏見に満ちた教育論を展開していきます。

教職員の不祥事、このままでは絶対減らない!?

※この記事は、普段の教育突破論とは

 異なり、僕個人の最近の教育界の

 出来事について意見を述べます。

 

みなさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンです。

 

今日は番外編です。

 

最近の教育情勢について

お話していきます。

 

 

さて、最近の教育現場には、

ホント問題が多いですね。

 

一月ほど前なら、宿泊学習中に起こった

教員による児童へのわいせつ問題、

間近の話になると、教員いじめ問題。

 

(あれをいじめと済ませていいかどうかは

別の話ですが…。)

 

大きく世間でピックアップされた問題は

この2つかもしれませんが、

他にも連日教員による不祥事は

後を絶ちませんね。

 

(僕なんて、検索し過ぎのせいか知りませんが、

グーグル検索かけると、すぐに

そういうのが出てきますから、

毎日「またかぁ…」と肩を落とすばかりです。)

 

で、この不祥事には必ずといっていいほど、

教員叩きがセットになってついてきます。

 

もはや、ハンバーガーにポテトを

セットするような感覚で、

 

「いらっしゃいませ!!

ご注文は?」

 

「えー、教員不祥事。

あ、叩きもセットで!!」

 

みたいな感じですよね。

 

教員いじめ問題ですと、

「こんなんでよく教師になれたな」

「これで道徳教えてるんだから笑える」

「教師への教育こそ必要だろ」

 

わいせつ問題ですと、

「教師はみんなロリコン

「採用試験のときに性癖も試験項目に…」

「何目的で教師になったんだよ」

 

不祥事ではないですが、この2件からか

今回の台風による影響で実施できなかった

教員資格認定試験 二次試験免除問題でも

 

「また質の悪い教師が誕生」

「だからダメな教師が増える」

「延期しないのは、自分達の都合でしょ?」

 

など多いものでは5000件を超える

コメントが発生したりして、

パッと見ですが、

8割は批判的なものです。

 

その8割のうち、

教員全体を非難されるコメントも

半数近くあり、

僕はそれを見て、いつも

 

「あぁ、風当りキツイなぁ…。」

と感じ、悲しい気持ちになります。

 

僕の務めている学校は、

めんどくさいことも多くてうんざりしますが、

こんな不祥事ありませんし、

みんな子どものために一生懸命ですから、

 

正直、「ホントにこんなことあんのか!?」

と、思ってしまいます。

 

「オレらは、真面目にやってんのなぁ…。」

「なんでオレらまで非難されるんだろう…。」

 

そんな気持ちがなかなかの頻度で沸き起こり、

その都度、「なんかこの仕事ってさ…。」

とやるせない思いになります。

 

もちろん、気にしなければ、

それで済む話かもしれませんが、

 

こういった世間の認識のズレが、

どんどん悪い方へ進み、遠くない未来、

教員も保護者も子どももやりにくい世界が

作られていくような気がします。

 

だから、僕はなんとかこの状況を

いろいろな角度から打破していきたくて、

このブログを立ち上げました。

 

一応、僕の中では、この

不祥事多発問題の根源

を掴めてはいます。

 

単純な話、ここさえ解消できれば、

毎日挙がる不祥事も

月1回程度に

抑えられるんじゃないでしょうか。

 

(結局挙がってんじゃねーかっ!!)

 

冗談はさておき、

不祥事多発問題の根源にあるのは、

教員の余裕のなさ 

 だと僕は考えています。

 

これまでの不祥事を

擁護するわけではありませんが、

教師はみんな不祥事を起こしたくて、

教育界に入ってきたわけではありません。

 

(と、信じたい!!!!)

 

みんな多かれ少なかれ、

教育に対する熱意をもって、

教員を志していると思います。

 

ただ、それが間違った方向に

進んでしまった結果、

不祥事辿り着いたのではないかと

僕は考えています。

 

さっきから不祥事不祥事と言っていますが、

不祥事はメンタル(理性)の崩壊

結果と捉えており、このメンタルの崩壊は

不祥事と病休に繋がっています。

 

単純に二分することはできませんが、

僕のこれまでの経験上

(あくまで経験上ね!!)

 

男性は不祥事、

女性は病休

が多いように思います。

 

(まぁ、教員いじめ問題は女性もいましたが…)

 

男性は、稼ぎの主力として働くので、

休む発想はあまり生まれず、

働き続けるが、あるとき不祥事に

手が出る。

 

女性は、稼ぎ(生活)を

サポートしてくれる存在がいるので、

(夫や実家など)

働くことを体が拒否し、病気になる。

 

(男性にももちろん

サポートしてくれる存在はいるが、

責任感やプライドから

休みを取りたがらないように思う。)

 

僕から言わせれば、不祥事も病休も

現場からのリタイア・離脱という点で、

どちらも同じで、

 

違うことと言えば、

被害者が外部の者か内部の者かくらいです。

 

不祥事は、子どもが被害に遭い、

病休は、教員が被害に遭う。

 

子どもの被害は言わなくてもわかると思います。

 

教員の被害は、抜けた穴を埋める作業が

他の先生に割り振られ、

普段より仕事が増えるという被害です。

 

 被害という書き方には、

多少の語弊があるかもしれません。

 

もちろん、僕も病休を取られた先生に

「めんどくせーな」という気持ちは

これっぽっちもなく、

(いや、2%くらいはあります。)

 

心配する気持ちでいっぱいです。

 

子どもへの被害も、なんとなく

冷たい書き方になってしまいましたが、

ご理解いただきたいところです。

 

さて、不祥事も病休も

メンタルの崩壊から来ており、

 

その根源は

余裕のなさにあると

先ほどお伝えしました。

 

今の先生ってね、

本っ当に余裕がないんですよ。

 

なんの余裕かって?

 

いろいろです。

 

この余裕をなくすいろいろを

一言で表すと、プレッシャーです。

 

見えない圧力

とでも言いましょうか。

 

この見えない圧力の一部を解消するために、

当ブログがあるのですが、

この見えない圧力が本当に厄介なんです。

 

思いつくだけ列挙してみましょう。

 

①給与の問題

②時間的な問題

③仕事量の問題

④課題のある児童生徒への問題

⑤保護者への問題

 

とりあえず、根本的なものはこんなものです。

 

(一番上に給与の問題と書いているのは、

僕が一番問題視していることだからです笑)

 

一見すると、5こだけかと思うかもしれませんが、

これらは密接に絡み合い、二次的三次的には、

さらにたくさんの問題が浮上してきます。

 

 

とりあえず、お給料の面から切り込んで

行きましょうか。

 

まずね、教師のお給料、

他の公務員に比べて低いですよね。

 

今は残業代どうこう言われていますが、

僕たちの残業代って、

基本給の4%なんですよ。

 

基本給の4%ってどのくらいか。

 

基本給が20万円だと8000円です。

 

8000円一律です。

 

どれだけ働いても8000円です。

 

僕は、1年目と2年目のとき、

毎月100時間程度残業していたので、

時給換算すると、80円

ですね。

 

はい、80円です。

 

まさかの笑

 

80円です。

 

もうね、

やってられるかー!!!!

ってなりますよね。

 

あらゆる方向からくるプレッシャーを

かいくぐり得られる残業代が80円て!!!!

 

いやね、この4%もね、

制度として成立したときは、

ある程度理にかなった数字だったんですよ。

 

残業時間もそこまでなかったので…。

 

ですが、今は莫大に増えた仕事量に関わらず、

残業代の一律4%は変わらない。

 

それっておかしいですよね?

 

ホントにね、残業代が時給500円でいいから

発生してくれってどれだけ思ったか…。

 

で、この給与面での待遇の悪さに加えて、

減ることのない仕事量。

 

毎年、何かしら上から挙がってくるんですよ。

 

次年度はこれやれ、あれやれって。

 

あれ?

 

代わりに減る仕事はないの?

 

仕事は減らないの?

 

プラマイゼロじゃなくて、

プラスなの?

 

あれ?

 

働き方改革は?

 

ふーん…

ないんだ…。

 

………、

やってられるかー!!!!

ってなりますよね。

 

減らないんですよねぇ、

仕事が…。

 

以前ね、職員会議で

1年間の総括があったので、

「これいらんやん」

ってものを全部列挙したんですよ。

 

だれも賛同してくれない。

 

だから、何も減らなかった。

 

「この業務、来年も継続でいいですか?」

 

異議あり!!」

 

え………、

オレだけ…?

 

(もちろん、こんな言い方ではないですが…)

 

みんな陰では

「あの仕事なくてもよくない?」

「あれはマジで意味わからん。」

って言ってるのに、

 

異議を唱えるのは僕1人…。

 

泣ける…。

 

何故誰も異を唱えないか。

 

学校の取組は、

少なからず子どもに影響し、

それが二の足を踏ませるからです。

 

「これやめたら、子どもが

がっかりするんじゃ…。」

 

「これやめたら、

楽しみにしていた子どもが…。」

 

「せっかくやってたのに、

やめたらもったいない…。」

 

知っとるわーい!!!!

 

せやけど、

やめへんかったら、

減らへんやろがーい!!

 

 

 

 

減らない仕事、

増え続ける仕事、

増えない給料。

 

で、そんだけ仕事があるんだったら、

時間的な余裕もないですよね。

 

はい、ないんですよ。

 

正直、翌日の授業の準備を

定時内でやったことないですから。

 

何かしら用事があって、

定時で帰る日なんて

怖くて怖くて…。

 

何か抜けがあるんじゃないか…。

 

やらなきゃいけないことが

あるんじゃないか…。

 

僕は、いつも19時に上がりますが、

毎朝7時30分に学校に着くので、

毎日3時間の残業です。

 

それでも、帰るのは、

僕は早い方です、

ダントツで。

 

19時より早く帰る日もありますが、

正直怖いです。

 

それくらい莫大な仕事量であり、

時にそれが一気に押し寄せるので、

 

こちらとしては、早いうちから

徐々に削っておきたいという思いから

この恐怖心が生まれます。

 

授業の業務に加え、 

学校内の業務、

保護者との連絡もあり、

 

多忙を極める毎日を送っています。

 

この多忙に見合う報酬を

得ている自覚のある先生は、

本当にごくわずかだと思います。

 

それ以外は、単純に

こんだけ働いて、

たったこれっぽっちか!!

と思っています。

 

なんだか不満ばかり並べたように思いますが、

この不満が余裕のなさを生み出し、

それが不祥事や病休に繋がるのではないかと

僕は考えています。

 

精神的な余裕のなさ、

時間的な余裕のなさ、

金銭的な余裕のなさ、

児童への余裕のなさ、

 

休憩時間もまともにとれず、

馬車馬の如く働き続ける先生の

行きつく先は、

メンタル(理性)の崩壊ではないでしょうか。

 

加えて、今の厳しい風当り、

真面目な先生

みんな思ってるんじゃないでしょうか。

 

やってられるかー!!!!

 

最初はみんな真面目で良い先生だと思います。

 

ですが、どこかで道を踏み外し、

誰かに被害をもたらします。

 

僕は、別に不祥事を起こした先生を

擁護しているつもりは

これっぽっちもありません。

 

これまでの不祥事の数々は

許されざることですし、

僕も見聞きして、

気分の悪いものになります。

 

被害を受けた人へは、

やるせない気持ちになります。

 

ですが、ここで

加害者を吊し上げるだけでは、

それは抑止力に繋がらないのでは

ないかと僕は思います。

 

実際、ネットでの炎上や

吊し上げはここ数年ずっと

行われていますが、

不祥事の発生は後を絶ちません。

 

「これやったら晒されるから

やめとこう」

 

このような発想に至る人も

もちろんいると思いますが、

それで不祥事が減ったら、

もう今はなくなっているはずです。

 

僕たちが真に望んでいることは、

加害者に社会的制裁を与えることでは

ありません。

 

もちろん、加害者は

罰を受けるべきだと思いますが、

 

不祥事などにより、

悲しい思いをする人を

生まないことこそが

真に望んでいることではないでしょうか。

 

 生まれた加害者をどうするかではなく、

被害を生まないためにどうするか、

 

 そこに目を向けないと、

これからも悲しい思いをする人は、

増え続ける一方です。

 

僕が、このブログを立ち上げた理由。

 

それは、自分の指導に自信が持てなくて、

余裕をなくしている先生に

授業や学級経営の面で

少しでも余裕を持ってもらうためです。

 

不祥事とはほど遠い安心した学校生活を

大人も子どもも

送れるようにするためです。

 

表面上の問題を叩くのは、

簡単です。

 

やっていることは

もぐら叩き

と同じです。

 

でも、問題はもぐらではなく、

もぐらが出てくる

土壌の方です。

 

そこをなんとかしないと、

いけないのに、

みんなもぐら叩きの方に

夢中になっちゃう。

 

わかりやすいからかな。

 

もぐらは叩いたらやっつけられるけど、

土壌はちょっとやそっと叩いても、

何にもならないですからね。

 

で、みんなもぐら叩きに夢中になってるから

文科省とか国は安心して

僕たちに新たなエサ(仕事)を与えるんです。

 

そして 、新たなもぐらが増えるんです。

 

そして、叩かれます。

 

また、新たなエサを…。

 

現場の先生、みんな困っています。

 

風当りのきつさに。

増え続ける仕事に。

増えないお給料に。

やりにくい現場に。

 

ハンマーを持っているみなさん、

まずはハンマーを置きましょう。

 

そして、まずは根本を見ましょう。

 

変わるべきは何なのかを見極めましょう。

 

変えるべきは何なのかを見定めましょう。

 

そしたら、きっと変わります。

 

絶対変わりますから!!!!

 

変わらなかったら…、

 

 

 

 

 とりあえず、

僕をもぐらとして

僕を叩いてください。

 

まだまだ言いたいことはありますが、

とりあえず、今日はこのへんで。

 

ありがとうございました。

絵のデザインは動きが肝心!!動きが感情に訴える!!

なさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンてす。

 

ブレイクスルー第10弾です。

 

前回の更新から少しあきましたが、
わたくしのブログも
早いもので10こ目になりました。

 

まぁ、読んで頂いている方はごくわずかで、
知名度もまだまだ低いのですが、
よくここまで続いたものだと
自分でも驚いています。

 

さて、本日は、

図工の絵画シリーズ最終章
絵を単純にレベルアップ

させるテクニックを紹介します。

 

絵のレベルアップにかかせないもの、

 

1つ目に、大きさ。


2つ目に、画力。


そして、3つ目に何が来るか?

 

そう、
動き
です。

 

動きもやはり感情論です。

 

直立不動の人と
変なポーズの人、
どっちに感情が芽生えるかと聞かれれば、
100%後者です。

 

動きがあれば、
それだけでおもしろい。

 

躍動感があったり、


「何してんねんっ!!」

とツッコミたくなったり、
思わず笑ってしまったり、

 

おもしろさの種類は千差万別、
無限にあるでしょう。

 

動きを入れることによる絵の
レベルアップの仕組みを
お伝えしたあとは、
動きのバリエーションを紹介します。

 

動きと一言で表しても、
色々あります。

 

動きと言えば、
イメージしやすいのが、
体の動き

 

手や足、指などですね。

 

自発的に動かない髪の毛などは、
躍動感にも繋がります。

 

動きは、体だけではなく、
顔にも現れます。

 

自画像を描いたときには、
目線まっすぐ、口は真一文字の
無表情ではなく、

 

歯を見せた笑う表情、
大きく口を開けた表情など、
口に工夫を入れるのも1つですし、

 

目に動きを入れるのも
おもしろいです。

 

笑って細くなった目、
驚いて見開いた目など、
目の輪郭に工夫を入れたり、

 

黒目の位置を真正面から
上下左右に
ずらしてみるのも1つです。

 

真正面だと、絵の中の人物は
絵を見ている自分を見ていますが、
黒目を真正面からはずすと、

 

「この人は、何を見て
こんな表情をしているのだろう?」
という疑問や関心を生じさせます。

 

これも1つ感情に訴えることですね。

 

最後に1つ。

 

紙にも動き

を入れることができます。

 

基本的に絵の掲示は、
まっすぐです。

 

ですから、
最初から紙を斜めにして

絵を描くと、まっすぐ掲示したときに、
それだけでオシャレなんですよね。

 

斜めの写真に
遊び心を感じておもしろいと
感じるのに少し似ているかと思います。

 

ただの直立不動も、
マイケル・ジャクソンさんの
ゼログラビティになれば、
それはただの直立不動とは
言えなくなりますもんね。

 

体や顔、表情や目、紙など、
動きというのは、
自分が思っている以上に存在し、


そういったところに意識を向けるのも、
1つの努力の形なのかもしれません。

 

是非お試しください。


それでは、今日はこの辺で。

 

ありがとうございました。

図工が苦手でも大丈夫!!下絵を大きく描かせる画力とは!?

なさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンてす。

 

ブレイクスルー第9弾です。

 

(先週は、都合により更新できませんでした。

すみません。)

 

本日は、前回の続き、
下絵を大きく描く意欲を、
画力に宿すお話です。

 

どれだけ意欲があっても、
画力がなければ、
その意欲はポキッと折れてしまうものです。

 

ですので、今日はその意欲を
きちんと次に繋げるために
身に付ける画力

についてお話します。

 

実は、子どもにとって、
小さい絵を描くことには、
1つメリットがあるんじゃないかと
僕は考えています。

 

 

それは、さいとすぐに消せて、
修正しやすい。

 

 

そして、大きい絵を描くことにも、
デメリットがあるんじゃないかと
僕は考えています。

 

 

それは、大きいと線が歪みやすくて、
すぐに失敗するけど、線が長いから、
消すのがめんどくさい。

 

 

子どもが描く線ってね、
濃いんですよね。

 

 

もう
「どんな力

入れとんねん!!」
ってくらい濃いっ濃いっ!!!!

 

だから、子どもの言い分も
わからなくもありません。

 

ですので、今回は
修正しやすいという

メリットを活かし、


歪みにくいという

デメリットを

抑えた描き方

お伝えしましょう。

 

 

前置きこそ長かったですが、
結論はいたって簡単。

 

漫画家の方が下書きに描くあれです。

シャッシャッと線を

繋げながら描くあれです。

 

僕は、それを

シャッシャッ描き
と言っていますが、
そのそれです。

 

これを子どもの前で実演します。

 

 

難しい絵をシャッシャッシャッ………

 

外枠からシャッシャッシャッ………

 

少し消して、シャッシャッシャッ………

 

細かくしていきシャッシャッシャッ………

 

最初は雑にシャッシャッシャッー!!


なぞりながら細かく

シャッシャッシャッ………。


最後は、丁寧に1本線でなぞる。

 

これだけです。

 

きっと子どもから

「先生、スゲー!!!!」と

歓喜の声が湧きあがりますよ。

 

大事なのは、
子どもの意図を理解してやることと、
実演してやること。

 

あとは、子どものセンスに
任せましょう。


それでは、今日はこの辺で。

図工指導の救世主!! 下絵を大きく描かせる裏技とは!?

なさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンてす。

 

ブレイクスルー第8弾です。

 

今回は、初の2日連続の投稿です。

 

第7弾をまだご覧になられていない方は、

ぜひそちらも併せて読んでいただければと思います。

 

本日は、少し教科の方に
切り込んで行きますよ。

 

まずは、図工から。

 

テーマは、タイトルにもあるように
「下絵を大きく描かせる」
です。

 

 

図工の指導ってねぇ………、


難しいですよねぇ………。

 

隣のクラスと比較して、
自分のクラスの方が明らかに
下手だったら、


「なんかゴメンな、マジで……。」
って思いますもんね。

 

 

参観日で、描いた絵を
教室の後ろに掲示してたら、
一発で教師の力量の差が
露になりますもんね。

 

 

「マジで掲示したくねぇ………、
マジで………。」
って思いながら、
1枚1枚画鋲で止めていくんですよねぇ。

 

もう気分は、

がびょーん………。

 

失礼しました。

 

 

まぁ、下らない話は置いときますが、
自分のクラスの図工の作品がイマイチだと
落ち込むのはわかりきっていることです。

 

でもね、小学校の図工ってね、
実はめっちゃくちゃ
ハードル低いんですよ!?

 

ある条件さえクリアすれば、
あとは、どうとでもなるんですよ??

 

 

でも、その条件が難しいから、
がびょーんってなるんです。

 

 

「これはどんなに綺麗に色を
塗っても取り戻せるレベルじゃない!!」

そんなレベルの子どもっていますよね。

 

 

そんな子って、
だいたいやってることは
決まってるんですよ。

 

 

描いた絵、
めっちゃ小さい。

 

 

見た瞬間、
「え、ちっさ!!!!!!!!!!」

 

 

画用紙の1/4しか使ってない、
1/8しか使ってないなんて、
ホントよくある話です。

 

 

大きく描くだけ………。

 

簡単なのに………。

 

「大きく書きなさい。」

何度も言ってるのに………。

 

「え、何これ、ちっさ!!!!!!!!」
ってなるんですよね。

 

 

逆にね、下絵が大きければ、
あとはどうとでもなります。

 

 

褒める要素が1つでもあれば、
人間おおらかになるもんです。

 

 

では、下絵を大きく描く方法の話を
していきましょう。

 

 

特別なものは使いません。

 

折り目を入れたりもしません。

 

大まかな丸を書いたりもしません。

 

基準となるものも必要ありません。

 

必要なものは、
強いて言うなら、
「人の感情」
です。

 

 

???

 

 

感情???

 

 

そうです、感情です。

 

 

感情論を絵に盛り込む、
実はこれがめちゃくちゃ使えます。

 

 

っていうか、
感情論はあらゆる教育の場面で使います。

 

 

以前から言ってる『痛み』も
ある種の感情ですからね。

 

さて、この感情論、
どうやって使っていくかというと、
入り方はこうです。

 

ターゲットとなる子どもを
1人決めておきます。

 

誰でもいいですが、
ハキハキとよく話す子どもだと、
あとあとやりやすいです。

 

その子どもにこう聞いてください。

 

5m以上離れた直立状態で、
「先生を見て、何か思う?」

 

おそらく
「いや、別に………」
と答えるでしょう。

 

 

(何か答えても、「そうか」と
流しておいてもらって結構です。)

 

 

「じゃあ、これならどう?」

ターゲットの目の前20cmほどまで

近づいてください。

 

すると、
「………、近い………。」

これなんですよ。

 

 

普段見ている姿には、
人は大きな関心を抱かないけれど、
近いと何かしらの

感情が生まれる。

 

 

絵を大きく描くのは、なぜ良いかたいうと、
大きく描く=被写体が近い
つまり、絵に感情が芽生えるんですよ。

 

 

子どもはこれを知らないから、
大きく描くメリットを見いだせず、
等身大のものを書こうとするんです。

 

 

さらに、ここから子どもの
大きく描きたい意欲を爆発的に
高めていきます。

 

 

大きく描いた絵と、
小さく描いた絵、
どっちがその人の努力

伝わると思う?

 

おそらく、小さく描いた絵、
と答える人が多いでしょう。

 

(こういうときは、
こっちが欲しい答えを後に言うと、
大体子どもはそれ通りになりますよ。)

 

正解は、大きく描いた絵、
なんですね。

 

小さく描く絵というのは、
必然的に細かい絵になり、
細かい作業は、
人の努力と映しやすいです。

 

逆に、大きい絵は、
隙間が多く、緻密さが失われてしまい、
努力を映しにくいです。

 

 

ですが、絵というものは、
想像や実物を紙に描いたもの、
想像にも実物にも、
隙間というものは存在しません。

 

 

物の表面には、
ざらつきや凹凸があり、
それらは全て実在している。

 

 

それらが実在しないのは、
絵具のインクべたべたべたー!!
の世界。

 

 

それらに気付かず描いている絵は、
小さい絵。

 

大きい絵は、そういった部分にまで
目を向け、普段は見ていないところまで
見ようとする。

 

 

小さい絵は、見たままのものを描き、
大きい絵は普段見ている以上の

ものを見て描く。

 

小さい絵は、

「見る」という点で、
大きい絵に圧倒的に

努力が足りていません。

 

 

大きな隙間をいかに細かく埋めていくか、
それが絵画に対する努力の仕方です。

 

 

それを知らない子どもは、
やっぱり、小さく描いてしまいます。

 

ですが、頑張り方を知った子どもは、
頑張ろうとします。

 

小さい絵は、いくら上手く描いても
「うん、上手いね」
くらいの感想しか生みません。

 

 

しかし、大きい絵が上手いと、
「うん、上手いね」だけでは
収まりきれません。

 

「よう見てんなぁ!!」


「めっちゃ細かいやん!!」


「やのに、丁寧!!」


「ようこんなんできるなぁ!!」


「いやぁ、大したもんやぁ!!」

 

褒め言葉のオンパレードです。

 

 

上記の内容を学年に応じて伝えてあげると、
子どもの意識はグッと上がります。

 

 

意欲が上がれば、
次は画力です。

 

 

ですが、それはまた次のお話で。

 

ありがとうございました。

忘れ物は一生減らない!? 現代教育が抱える大きな問題とは!!!!

なさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンてす。

 

ブレイクスルー第7弾です。

 

前回、言葉と言葉のやりとりとして、
返事をすることが大切だとお話しました。

 

本日も言葉と言葉のやりとりを
ベースとしたお話を
していきたいと思います。

 

テーマは
「忘れ物を減らす」
です。

 

 

5分休憩に忘れ物を言いに来るよう
指導すると以前お話しましたが、
それだけだと忘れ物は減りません。

 

いくら注意をしても、
減りません。

 

いくら厳しくしても、
減りません。

 

 

 

忘れ物ってね、僕が思うに
現代教育界の病気
なんですよ。

 

病気だったら、
治せばいいじゃないか。


いやぁ、治せませんよぉ…。

 

だって、
誰も病気だと思ってない
んですもん。


もうね、忘れ物っていう言葉を
使ってる時点で病気ですよ?

 

 

????

 

 

今、頭の中に?が浮かんだ人は、
残念ながら忘れ物病に
かかってしまっているかもしれないので、
要注意ですよ?

 


では、忘れ物病とは一体何なのか、
説明していきましょう。

 

 

さて、忘れ物………

 

学校教育では、
ホントによく聞く言葉です。

 

毎日聞きます。

 

だって、絶対1日1回だれかは、
「先生、○○忘れました…。」
って言いに来るんですもんー!!!!

 

ホント、
きぃーーー!!!!
ってなりますよね。

 

でもね、うちのクラス、
忘れ物言いに来る子ども、
ほとんどいませんよ。

 

だってね、
忘れてないから。

 

さぁ、ここでピンと来た人も
いるのではないかと
思うのですが、

ここで質問!!!!

 

「先生、○○忘れました。」

このフレーズ、
一体誰が言い出したのでしょうか??

 

 

 

ピポーン!!
子ども!!

 

 


ブブー!!!!

正解は……………、

 

 

 

 

 

 

知りませんが、

(ガクッ!!!!)

 

僕は大人だと思っています。

保護者か教師かどちらかです。

 

 

それはなぜか。

 

 

必要な物を持ってこない、


やるべき課題をやっていない、

 

これは、子どもが初めて知った

「忘れた」という言葉の意味からは、
あまりに遠くかけ離れているからです。

 

 

だってね、忘れたって、
「うわぁ!!さっきまで
覚えてたんやけど、忘れてたぁ!!」
ってやつでしょ?

 

 

確かに頭の中にあったものが、
偶然的に意識の外へ出て、
それを取り戻すことが
できなかった状況・状態が
「忘れた」ですよね。

 

 

じゃあ、子どもの
「持ってきてません」


「やってきてません」


「できてません」

 

これって、忘れた………

ではないですよねぇ………。

 

 

初めて『忘れた』という言葉を知っても、
「え、そういう使い方あんの!?」
という感じで、
いつの間にか意味が
すりかわってしまっている。

 

 

でも、誰もそのすりかわりに
気付いていない。

 

 

だから、病気なんですよ。

 

 

気付いていないから、
治せないんですよ。

 

 

僕はね、もう完治してますよ。

 

 

実際、「忘れた」、「忘れ物」なんて
教室で絶対使いませんから。

 

 

今、ここで書いているのは、
その方が説明しやすいからであって、

この記事を最後まで読んだ方は、
治癒の方向に進み、

 


やがて
「おかしな言葉を使っていたなぁ…。」
と感じるはずです。

 


子どもの忘れ物ってね、
ホントにいっぱいあると思うんですよ。

 

 

宿題忘れた1つとっても、
・めんどくさかったからやってない
・遊んでいたら時間がなくなったから、
 できてない
・やる気がなかったから、やってない
・体調が悪かったから、できなかった
・ノートがなかったから、
 学校でやろうと思った

 

 

これ全部子どもは
「忘れました」の一言
済ましにかかってくるんですよ?

 

 

怖くないですか!!??

 

 

ノート忘れた1つとってもね、
いろいろあると思うんですよ。

 

 

・机の上に置きっぱなしにしてた
・時間割りを確認していなかった
・時間割りをちゃんと写せてなかった
・めんどくさかったから、
 時間割りをやらなかった
・前のノートを持ってきてしまった
・お茶をこぼして、乾かしてる

 

 

これ全部子どもは、
「忘れました」の一言
済ましにかかってくるんですよ?

 

 

怖くないですか!!??

 

 

何が怖いか??

 

 

当たり前のように
歪んだ日本語を使っている
この教育界、です!!!!

 

 


忘れたってね、
ある意味、究極なんですよ。

 

 

絶対不可侵なんですよ。

 

 

人間は忘れる生き物です。

 

忘れない方こそ無理があるんです。

 

だからね、忘れるというのは、
悪いことなんだけど、
どこか自分に責任がないような
感じになるんです。

 

 

だって、忘れるのって、
しょーがないじゃん!!!!

 

 

仕方のないことじゃないですか!!!!

 

 

これをね、
子どもが当たり前のように使うとね、
自分の失敗を、
「仕方ない」にすり替えるんですよ。

 

 

仕方ないから、
自分は悪くない。

 

悪くないから痛くない。

 

痛くないから残らない。

 

残らないから、次に活かせない。

 

だ!!
か!!
ら!!

 

忘れ物が減らない!!!!

 

 

この縮図が無意識的に
子どもの中で出来上がって
しまっているんですよ。

 

 

それなのに、厳しく言っても、
しょうがないでしょ??

 

 

自分で自分の失敗に気付けていないのに、
厳しく言っても、
「でも、仕方ないじゃん」って
いじけるだけです。

 

 

それじゃあ、全く意味がない。

 

 

だから、こっちは子どもに、
自分の失敗に目を向けさせるような
言葉をかけてあげなければいけないんです。

 

 

「先生、○○忘れました。」


『意味わかんない。
 忘れたって何?』


「時間割りを確認していなくて、

 持ってこれませんでした。」


『なんで時間割り確認してないの?』


「時間が遅かったから。」


『昨日、4時には帰ってたよね?』


「習い事があって………」


『習い事ってそんなに遅くまであんの?
 時間割り確認するのって、

 5分もかからないよね?


 君は5分も作れないほど、

 忙しかったの?』


「5分は作れた。」


『じゃあ、なんで、

 作れた5分を作れなかったの?』


「遊んでたから」

 

ここまでやる必要があ

るんですよ。

 

 

 

自分の準備不足に!!


時間の使い方の悪さに!!


自分の怠け心に!!

 

きちんと目を向けさせて、
その後どうすればいいか考えさせて、
言葉にさせなければ、
子どもは痛みを感じない。

 

 

逆に言えば、
このやりとりの中で生まれる痛みが、
子どもに成長を促す刺激になるんです。

 

 

失敗から学ぶとは、
こういうことです。

 

 

『じゃあ、これからどうすればいい?』


「遊ぶ前に時間割りをする」


「なんとしても時間割りをしてから寝る」


「朝早く起きてやる」

 

きちんと具体的に対策を

言葉にさせるんです。

 

 

そうすることで、
失敗が次に活かせるんです。

 

 

忘れ物が
仕方のないものじゃなくなった瞬間、
自分の努力で何とかしようとできるんです。

 

 

究極の領域にあった、
絶対不可侵の領域にあったものが、
手の届く世界になったんです。

 

 

そうしたら、あとは
チャレンジ&トライ。

 

 

挑戦して、
失敗して、
別の方法を試して、
失敗して、
軌道修正して、
徐々に自分のものにしていくんです。

 

 

おそらく1回で上手くは
いかないでしょう。

 

一度失敗したら、
その方法には不備があったということ、
では、どうすればいいか考えさせる、
一緒に考えてやる。

 

教育とは、
そういうものなのではないでしょうか。

 

たかだか、
「忘れました」の一言、
でも、これは現代教育が
抱える大きな問題です。

 

それを気付けずにいる大人が
あまりに多く、
子どもがそれにどんどん侵されていき、
それが未来へと繋がっていく。

 

 

怖くないですか!!??

 

僕はね、怖いです!!!!!!!!

 

だから、今一度自分が
当たり前のように使っている言葉、
見直してみても、
いいんじゃないですか??

 

最後は、少し大袈裟な話になりましたが、
忘れ物という言葉の使い方も、
必ず子どもたちと一度確認してくださいね。

 

でないと、
「ちょっと先生、どうなってるんですか!?」
ってなりますから。

 


それでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました。

人気者先生の落とし穴 ナメられない先生になるには!?

なさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンてす。

 

ブレイクスルー第6弾です。

 

 

前回からスタートした
人気の秘密シリーズですが、
人気者になると、
ある弊害が生じます。

 

それは、
子どもにナメられる
です。

 

 

人気者になるのはいいけど、
ナメられるのはねぇ……。

 

 

徐々に授業規律もなくなるし、
保護者にも裏で色々言われそうだし………、

 

 

ねぇ??

 

 

いやですよねぇ??

 

 

ちなみに、僕はね、
一切ナメられてませんよ。

 

オンとオフの使い方を
こうも巧みに使い分ける先生は、
なかなかいないんじゃないかな、
と自分で思います!!

 

 

ということで、本日は、
人気者をキープしつつ、
ナメられない先生の作り方、
についてお話します。

 

 

大人が子どもにナメられる原因は、
いろいろあるとは思いますが、

 

その1つに
指導と冗談の境界線が

はっきりしない
というものがあるのではないかと思います。

 

 

これは冗談なのか、指導なのか、
それがわからなければ、
子どもは自分の都合の良い方で
解釈しようとします。

 

 

どちらが都合が良いか………。

 

もちろん、「冗談」です。

 

ですから、指導の際、
「おい、これは冗談じゃないぞ。
マジのやつだぞ。」
と理解させる必要があります。

 

だからと言って、
今の言葉をそのまま言ったら、

 

子どもは
(と言いつつも??)
なんて心の中でニヤけて
くることもあるかもしれません。

 

 

ですから、最後に子どもが
笑えないように、
釘を刺すのです。

 

 

(僕はこれを
「痛みを与える」
と解釈しています。)

 

さて、この痛み、
どうやって与えるか??

 

もちろん、
体罰やメンタル攻撃ではありません。

 

 

簡単な話、
一言「はい」と返事をさせます。

 

 

え、返事?

 

それだけ?

 

それだけでいいの?

 

 

いいんですよ。

 

 

「はい」の一言だけで。

 

 

だってね、
今の子ども、
全然返事
しないんだもん!!!!

 

 

注意をしても、
険しい顔をして、
真剣に聞いているフリ
するんです。

 

 

はい、フリです。

 

 

いやね、多分ね、
聞いているとは思うんですよ、
話しているときは。

 

 

でもね、子どもはね、
自分に都合の悪いことは、
すぐに忘れちゃうみたいなんですよ。

 

 

だからね、
子どもの心の中に刻むんですよ、
痛みを。

 

 

簡単に忘れられない
ようにするために。

 

 

これが冗談ではなく、
指導であると、
力ずくで理解させるために、
刻むんですよ。

 

 

注意をして、
指導をして、
最後に話を締めくくったあとに、
返事をさせるんです。

 

 

そうすることで、
お互いの立場が

明確化するんです。

 

 

「やっぱり、先生は先生なんだ。」
と印象付けるんです。

 

 

そうすれば、
絶対にナメられることは

ありません。

 

 

だって、返事をさせる大人、
今の時代、あんまりいませんからね。

でもね、返事って大事じゃないですか。

 

 

社会で返事をしない人間、
信用ならないでしょ?


信頼していけないでしょ?

 

注意という、指導という、
言葉と言葉のやりとりなんですよ。

 

それをね、頷きで返したり、
真顔で無言、表情で返したりって、
おかしくないですか??

 

こっちは言葉で伝えてんだよ!!!!
そんなもん、
言葉で返すのが
当たり前だろうよ!!!!

 

 

そういう話なんですよ。

 

 

それを理解していない先生は、
子どものご機嫌だけとって、
ナメられる。

 

 

このままじゃダメだと思って、
なんとかしようとしても、
時すでに遅し、
なんてことも可能性としては、
十分あります。

 

 

ですから、
子どもに返事をさせる習慣も
しっかり身に付けられたらいいですね。

 

 

ちなみに、返事をしない子どもには


「返事ぃ!!!!」


「返事わぃ!!!!」


「こっちは言葉で言ってんだよ!!
だから、言葉で返せ!!!!」

 

と、厳しく言います。

 

 

そうするとね、子どもは思いますよ。

「この先生、ヤベェ………。」

 

でもね、これが大切。

 

 

あとでしっかり遊んであげたり、
ゆっくり指導をすれば、
子どもとの関係は、
強固なものとなりますよ。

 

 

厳しい指導のあとの、
アフターフォローも大切に。

 

 

それでは、今日はこの辺で。

ありがとうございました。

人気者先生になる極意は身近な○○!!

なさん、こんにちは。

 

Mr.スナフキンてす。

 

ブレイクスルー第5弾です。

 

本日から
人気者の秘密シリーズ
というものも始めていきたいと思います。

 

 

自慢じゃないですが、
僕は、学校では人気者です。

 

多分、学校一人気者です。
(自慢じゃないですよ?)

 

新しく赴任した学校でも、
人気者になる自身があります。
(じ………、自慢じゃないんだからね!!)

 

そのくらい、僕は人気者です。
(すみません、自慢です。)

 

 


人気の秘密は、色々ありますが、
このシリーズでは、
学校で人気者先生になる秘密を
少しずつ紹介していこうと思います。

 

(ちなみに、プライベートでの人気は、
そんなにないです。
友達少ないので………。)

 

さて、実はすでに人気の秘密について、
以前本ブログでも1つ紹介しておりましたが、
覚えてますか??

 


そうです、
「子どもと一緒に氷おに」
でしたね。

 

本日は、
体を張らない人気の秘密
についてお話します。

 

(女性の方にもオスス………

いや、そうでもないか………。)

 

 

さて、タイトルにもありますが、
人気の秘密は、

 

そう、ダジャレです。

 

(女性の皆さま、頑張って!!)

 

 


ダジャレ………、

お父さんが言ってきたら、

ちょっとイラッとする
あのダジャレです。

 

 

あのダジャレですが、
お父さんが言うと、
子どもは早い時期からイラッと
くるかもしれませんが、

 

先生が言ったら、
なぜかあんまりイラッと
来ないんですよねぇ………。

 

いやぁ、ホント、
教師って簡単に笑いをとれるから、
楽な仕事だと思います。

 

(笑いの点だけでは、ね。)

 

いやぁ、ホント、
世のお父さんは我が子を
喜ばせるのに苦労してるんだなぁ、
と思います。

 

(まぁ、勝手な偏見なのですが……。)

 

(うちの父親がそうだったもんで……。)

 

でもね、子どももね、
そんなに単純じゃあないです。

 

意味わかんないときに、
いきなりダジャレをぶちこまれても、
やっぱり、「は?」
となります。

 

ですから、ダジャレも
タイミングが
重要です。

 

どんなタイミングか?

こんなタイミングです。

 

給食時間、
揚げ物にソースをかけて
食べるメニューがあった場合、

 

「○○の増やしはおらんかー!?」

 

「よし、次、ソースの増やし………、」

 

「うわぁ、今日のソース、
おいしソーッス………。」

 

(大人に発信するダジャレって、
思った以上に恥ずかしいな………。)

 

慣れていない子どもは、

「…………???」

 

「今日のソース、
おいしソーッス………。」

 

(自分へのダメージが想像以上に深刻だ。)

 

子ども「……………」

「今日のソース!!
おいし!!??」

 

子ども「ソーッス!!!!」

 

はい、ソースのダジャレ、
インストール完了です。

 

ソースのおかわりを配り終えたあと、
「もうソースのおかわりは
おらんかー!?」

 

シーン

 

「ソーッスか………。」

 

はい、先生に
ダジャレ属性が
付加された瞬間です。

 

もちろん、子どもたちは笑ってます。

 

はい、タイミングが
重要とは言いましたが、
どんな感じか
大体お分かりいただけましたでしょうか。

 

大事なのは、そのときの
状況に合った言葉を選ぶこと
ですね。

 

あとは、めげずに言い続け、
最後に子どもたちに言わせる、

 

これさえやれば、子どもは
きっと家でもダジャレを言うようになり、
学校で楽しかった経験が家でも表現され、
保護者は安心します。

 

(同時に、ある種の不安も植え付けますが…。)

 

ちなみに、画鋲が外れて落ちているときは、

 

もうお分かりですね………。

 

がびょーんです……。

 

他にも色々ダジャレを紹介ようと
思っておりましたが、


大人へのダジャレが与える
自身へのダメージを考え、
本日はこのあたりにしておこうと
思います。


それでは、今日はこのへんで。

 

ありがとうございました。

 

 

PS

夏季休暇も終盤に差し掛かり、

日々の業務が忙しくなってきました。

 

これからの更新頻度は、

週末に1~2回程度になると思います。

 

よろしくお願いします。